霧の中に散る
「 霧の中に咲く 」より
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私達は再び、歩き出した。
命というものの多様性と古代から連綿と受け継がれる遺伝子の展示から離れて、時空を超える旅へと向かった。
そこは古書の街だった。ある人(以下A)はそこへよく来るらしく、懐かしい本が多数置いてある古書店や風変わりな喫茶店などに案内してくれた。私達が時間と空間を超える、それを為す唯一のものとは一体何か。
それは思想である。
形を変えながら、少しずつ子孫へ受け継がれていく。それだけが、私達人間が可能な時空間旅行の方法である。ただし、過去には行けないが。
そうして思想を後世に残す古来からの方法が「本」である。本はその中に作り手の歴史が、時間が内包されている。その人の思想の欠片を集めながら、自分で好きに組み立てていくのが読書という行為なのかもいれない。
本屋というのは、この世界の思想という遺伝子を載せた箱舟だ。昔からあるもの、新しく生まれたもの、消え去ろうとしているもの、様々な遺伝子を載せている。
箱舟たる本屋の中でも古書店では、本達の歴史の厚さに圧倒される。古き時代から受け継がれてきた思想の濁流が目の前にあるようで私は赴くたびに打ちのめされてしまうが、Aはひるんでいる様子もなく楽し気に本達と語らっていた。
Aの薦めてくれる薦めてくれる本達は私が読んだことがない、目に入っていたかもしれないが意識を向けていなかった者達で新鮮だった。
私が薦めた本達もAにとっては新鮮だったようだ。
お互い、違う路を旅してきて、さらに違う物語を旅していた。その路の途中で、私とAの路が重なったという事が私には幸福なことだと思えた。多くの人間の路は交わることなく伸びている。平行線。隣にいても、実は平行線としてあるだけで交わることはないのかもしれない。交わった時点でそれは奇跡のような確率なのかもしれないのだ。その時確かに私たちの路は交わり、そうして一緒に旅をした。
気付いたら、闇が街に訪れていた。
長い時間をかけて箱舟で思想を渡り歩き、語らい、お互いを見つめていた。
人間の眼というものは今と同時に未来も過去も見える特殊な硝子で出来ている。
私達は確かに互いの事を見つめていながら、Aはきっと今ではなく過去をみていたのかもしれない。近くにいるのに遠くを眺めているようなAの意識は、Aの心は私にはひどく遠くにあるように思えた。
この時間が、終わってほしくなかった。たとえ私をみていなくとも。
此処でAを離してはいけないと思った。
ただ、私が甘えたかっただけなのかもしれない。
自然と手を差し出していた。
Aはそっと握り返した。
心が重なるような感覚を初めて知った。
そうして私達は夜の街を歩いた。
しだいに、夜が身体に馴染んでいくのを感じた。
夢のような時間だった。一歩一歩進む。
Aの手の温もりが伝わってくる。隣にいる、繋がっている。
言葉を交わし、視線を交わし、終わらない夜の路をただただ、歩いていった。