Garden of Lapis Lazuli

刹那的生命の備忘録

愛と性 2

純粋概念的な愛というものは、性とか生死とかに縛られない.
性の差異も生死の隔絶も超えて(後者は一方的な片想い)人は愛する.
様々な社会的障壁(民主主義的障壁)によって人は愛に苦しみを感じることもある.
変えられない想いと変わらない社会に生じる軋轢に絶えられず、死んでしまう人もいる.

何度か同じ事を書いたかもしれないが、死んだら0だ.

そこには何もない虚無.

それ以上の未来が、時間がない.

愛には苦しく辛い時間も存在する可能性がある.
しかし、0になったら終わりだ.
個々人の人生はそこでビリオド.
思考する事も出来ない.
苦しみも辛さを味わいたい人は、いるかもしれないが出来れば幸せだけを貪って生きていきたいというものだろう. 0になるまでの有限の時間の中で.
それを模索する間はかなり厳しいと推測される.

まぁでも、生物学的死まで残り69年程だろうから、それまでは楽しく生きたいと私は思っている.

考えて、歩きながら、考えて
そうやって生きるしかない