何を為したいか、何を為すべきか
研究というのは、自身の好奇心と社会的なニーズの双方から組み立てられる
そうした時、自分の好奇心が必ずしも社会還元と関係のないところであるとみなされてしまうこともある。これは時空間的な解像度が低い人間に分かりにくく説明するから理解されないだけだ。多くの研究は社会還元の面を持っているし、以前も書いたかもしれないが研究者はそこを一つの目的として据える事が重要だと思う。
生物がもっているある機能について知りたいと考えるとき、それを調べる事で何に生かすことが出来るかを滅茶苦茶頭を振り絞って考える。
バイオミメティクスの分野が例えやすい。
よく聞く話だがサメの肌をの構造を参考にした水着であるとか、ヤモリの手にある微細構造を模倣する事で創られた手袋がある。これらはもともとその生物の持つ機能への好奇心から、それらのもつポテンシャルを社会還元した結果であり、時空間的にきちんと考察すれば何かしらの面に応用できるものだ。そんな事できないと言っている研究者は4流だし、たいした研究が出来ていない(スタンスがその程度なら研究の質がその程度であるから)。
私のもっぱらの興味は
生命とは何か
人間が非生命で構成されたものを生命とみなし始める閾値はどこか
意識とは何か
そういったところに収束する。
そうして、それらの命題について考えるとき、人間の脳というものに着目せざるを得ない。人類最後のフロンティアは自身の中に在る脳とまで言われることもある程に、自分自身である脳の研究はまだまだ終わりそうにない。
そして、人類の寿命が延び始めてきて顕在化してきた問題、認知症や神経変性疾患と呼ばれる種々の病気はその原因が脳にある神経細胞の脱落、つまり脳が壊れ始めることであるとされる。記憶を失っていくこと、そして認識機能が低下することなどである。
最後のフロンティアである脳が鍵を握っている。
私は、そこにアプローチする方法を幾通りか考えた。
今後はこの筋で研究していこうと思う。
この研究、脳の研究と生命そのものの研究は社会還元について無限の可能性を持っている(この宇宙にいる限り有限だが)。
しかし、その分研究自体は非常に難関だ。
よりシャープにストイックに研究したいものである。