Garden of Lapis Lazuli

刹那的生命の備忘録

大学生の温度差って凄い

 大学進学時点から研究したいと考えていた私からすると、大学生活はいずれ行う研究活動の為の基礎作りであって、勉学というものには必死に取り組まなければならないと考えていた(遊ばないとは言ってない)。

勉強する時は勉強して、遊ぶときは遊び、飲むときは飲んで、それぞれに集中していくことがとても大切だと思っていた。

しかし、前半で述べたような研究への意欲というものに非常に差があると感じたのが入学してすぐのことだった。これはすべての大学に共通していることだと思う。

勿論、東大、京大という偏差値の高い大学に入った人間の中でもそうではある(しかし自身の論理がしっかりしている人が比較的多い)。そんな中で、その温度差の中で、モチベーションを保ち続ける事は難しいことだ。次第に難しくなってきて、勉学がおざなりになり、遊びの比重が増加していく。

勿論、そういった遊びの中で得るものも大きいし、自分の芯となる何かを手にする機会になり得る。馬鹿にはできない。しかし、それは研究機関としての側面でいう大学でやる事なのかという疑問は生じる。大学でなくても出来る事ではないのか?勿論時間的な制約が最も希薄となるのは大学生の間だろう。長いところでは夏休みが2ヶ月以上あったりする。制約がなくなればなくなるほど、自由であればあるほど、人間は悦を求め怠惰に走る傾向がある。芯が固まっていない若人の間は特にだ。

しかし、芯を既に獲得している、もしくは獲得過程にある人間は非常に勁い。

漂える葦と比べれば、断然。

私は、まださ迷っている葦なのかもしれない。