Garden of Lapis Lazuli

刹那的生命の備忘録

情報社会は人の感性を均一化するようです

情報社会。
あらゆる情報へのアクセスが簡単にかつ迅速に可能となった現代では、あらゆる事が正規化、あるいは均一化してきているように感じる。

インターネットの普及は革命的で、SNSは人と人との距離を擬似的に近くした。
というのは、従来にない頻度で知らない人の趣味、嗜好、起こった出来事など様々なことを簡単に目にするようになったということ。

そういった中で「いいね」や「グッド」などのボタンでリアクションすることによって、人々はその人物への一種の「共感」を表している。

アイドルや俳優、お笑い芸人などのいわゆる影響力の高い人々には何万人、何十万人というフォロワーがいる。そうした人達が一同に「いいね」する訳である。これは、「いいね」をすることが自分の意志というよりもむしろ、「フォロワーの意志」の様な物になっているように見える。

つまりはある小さい社会での意志のようなもので、その中ではマジョリティの意見に従わないといけないという強迫観念めいたものに人は一時的に酔ってしまうようだ。

インフルエンサーと言われている方々のファッションや考え方などなどに「いいね」をすることで、自分自身の思考を抑制しつつマジョリティの意志に則した感性を磨いている。
人はそれぞれ異なる。凸凹していて当たり前なのに、同じ「いいね」という1つのボタンによって他の表現方法を考える機会を減じてしまう。

そうして集団的な価値観が無意識に刷り込まれていくことで、同じような事でしか笑えなかったり、泣けなかったりするような人が増えているようだ。

誰かが笑わないと、これは笑うようなものじゃない、つまらないものなのだと認識するようになったら末期だろう。

もっと自分が本当にそう感じた時に、自由に笑い、自由に泣き、自由に表現しましょう。

それぞれの感じ方というものを大切にして欲しいものです。

かくいう私は、均一化出来ない程考え方もお腹も凸凹した人間であるので、自身の健康面以外、あまり心配はしていない。