夏の光
昨日、山を登っている途中で蛍をみかけた。朝方だったので、光ってはいなかった。
最近では、蛍が舞っている姿を見たことがない人も沢山いるようである。
私が育った土地は田舎で、夏になると蛍が家の庭まで飛んでくることもあった。
小川や用水路のあるところまで行けば、沢山の光が飛び交っている姿を目にすることが出来た。近隣の子供やその両親、祖父母が集まって談笑しながら夏の光を眺めるのだった。
それが、気付けば年中光っている街の中にいた。
夏だけではなく、春も、秋も、冬も光が消えることなくらんらんと輝いている。
車の光が何個も往復し、けたたましい音が町全体を包んでいた。
歓楽街を照らすのは私の眼には強すぎるネオンの光だったし、夜中までそれらの街の光が絶えることが無い。
そうして、気付けば私の心は光にあてられていた。
目がくらみ、大切なものを見失って何かが見えなくなっていた。
けれど、逃げるわけにはいかなくて、数年の間はその街で息も絶え絶え暮らしていた。しかし遂に、四度目の夏が巡って来た年に、私は何もかもを失い、田舎へ帰っていった。
田舎へ逃げ帰り、何日も何日も何をすることもなく、ただぼーっと縁側から外を眺めて、座り疲れたらサンダルを履いて散歩へ出掛けた。
見渡す限り、人っ子一人いない田園風景。
車の音もせず、鳥のさえずりが身体を満たした。
頬をなぜる風のぬくもり、広がる緑の草花が太陽の日に照らされていた。
ふいに、涙が草の上におちた。
止まらなかった。
おちていく涙が、草の緑を濡らしていく。
周りには、誰もみる人がいない。土草の上で、私は泣いた。
草の上には、他にもたくさんの露があって、一体何人の人が苦しくて、哀しくて、辛くて涙を流したのだろうかと、想いを馳せた。
そして、一体この大地はどれだけの哀しみを包み込み受け入れたのだろうか、と。