Garden of Lapis Lazuli

刹那的生命の備忘録

どうして性別ってあるの? 2

先日の記述の続きだが、

無性生殖と有性生殖では新しく生じる個体の持つ「情報量」と「変異可能性」が異なるということが考えらえる。

無性生殖で得られる個体はいわゆるクローンで親子で全く同一の情報を有していて、同じ顔、姿、免疫などのシステムを持っている。

それに対して有性生殖で得られる個体は雌雄それぞれの特徴をミックスしたような個体が多い。

これによって種としての多様性の差がみられる。

 

ここである無性生殖する生物集団と有性生殖する生物集団それぞれの中でとある感染症が蔓延したとする。

 

この感染症は空気感染、血液感染しあるタイプの血液型の生物に対して感染し、感染後直ちに死亡してしまうような恐ろしい感染症だとしよう。

 

この感染症が無性生殖群で蔓延した場合、きっと生き残る者はいない。

なぜなら、全ての個体が同一の血液型であり何をする時間もなく集団は簡単に死んでいってしまう。

 

それに対して有性生殖群では血液型が何種類か存在しているから、直ちに全滅することはないだろう。得られら情報からまた全滅してしまった血液型の個体を増やすことも、生き残りが存在すれば可能かもしれない。

 

このように、あるアクシデント(感染症などの病気)などが起こった時に生き残る個体数が多ければ多い程、種としての寿命は長くなる。

ある個体の意志よりも大きい場所に種としての意志が存在する。種の存続は種としての意志であり、それが本能という機能の根底だ。そうして、無意識のうちに多様性の拡大を目指した結果、有性生殖の形式が生じたものと考察する。

 

また、機能が複雑化することで突然変異を起こす可能性が増える。複雑化するという事は、経路が入り組んでいる迷路のようなもので、その経路が沢山あればある程、イベント、アクシデントが起こる可能性がある。これが変異だ。変異する事で、受け継がれたものが変わる。髪の色だったり、体色だったりする。したがって変異がある事で、より沢山の種類のものに枝分かれする。

したがって、変異というのも多様性の拡大に貢献する。

 

拡大した種の多様性に対して自然選択圧という自然の篩によって、数が減る。

 

その中で生き残るための方策が

より多く、よりバリエーション豊かに

ということだ。

 

性差というものは、多様性の獲得を目指した結果なのだろう。

 

 私は以上のように考察する。

これはあくまで生物学を少し齧った人間の考察であって、何の証拠もなくそれに関する書籍を読んだ記憶は無い為、話半分に読んで自分で考えてみる事がおもちろいでしょう。