Garden of Lapis Lazuli

刹那的生命の備忘録

おすすめの「ホラー小説」

ざぁーーーーーー

 

夏の驟雨で眼を覚ました

 

カーテンの隙間から除く空は、薄暗く夏の暑さを一時でも忘れさせてくれる

 

けれど、長くは続かず雨の乱打は蝉の叫びに取って代わられた

 

部屋から出て、マンションの屋上に向かう

 

足元はさっきの雨でとても小さい海のようになっていた

 

空も灰色、そして青が大半を占めていた

 

よく、冬は死の季節のように形容されることがある

これは木々が裸になってしまい、路傍の花も多くが絶える事によるだろう

しかし、私は夏の方が死の季節だと感じる

 

どうしてだろう

 

これといった明確な理由も無いのに、とても死というものが近くにある季節だと感じるのだ

 

まさか、夏の風物詩「怪談」によるのだろうか

 

それもあるかもしれない

肝試しをする人たちも他の季節と比べて増えるだろう

 

私は世に言う霊感を持っていないし、霊の存在を信じてはいない

怖いものは苦手だが、それはグロテスクに由来する嫌悪に近い

それなのに怖い話自体は多少なりともネタとして持っている

話していて私自身が怖くなってしまうから、あまり話したくはないのだが

 

小説にも「ホラー」というジャンルがある

人それぞれに恐怖を感じる瞬間や対象というものは異なるから、ミステリーにもラブロマンスにもそういった恐怖の要素はあるかもしれない

幽霊だけではなく、怖いのは人もだからだ

私が最近読んだ中で、ホラーな物語だと感じたのは

 

織守きょうやさんの「記憶屋」

 

これといって恐ろしい怪人が出てくることはないが、襲ってくる恐怖は中々に上質だったと感じた

 

特に、何度か読み返して私がどこに恐怖を覚えたかというと、それは

記憶の喪失による存在消失だ

 

我々の意識というものや自我というものは全て、記憶というものから生じるという考え方がある

それは逆に記憶を失えばそういったものもリセットされるという事だ

もし仮に自分自身の存在が大切な人や家族にさえ忘れ去られてしまったら、貴方はどのように感じるだろうか

知らない(記憶にない)人が、急に近付いてきて。。。

ということには恐怖を感じるのではないだろうか

もし自分自身の存在に関するすべての記憶が全人類から消えてしまったら、私の存在自体が消滅することと同値だ、と考えている

私が記憶屋というものに恐怖を感じた根源はそこにあるのかと思う

 

 

人の記憶を消す存在「記憶屋」に迫る主人公の物語

そこで紡がれる愛や正義は、本当に存在したのか

葛藤や絶望、後悔を失うことは、幸福なのか

本当の幸福とは、愛とは、正義とは

 

 

ホラー小説であり、色々な命題について考えさせてくれる作品でした

三作あるけれど、第一作目が一番怖かったかも