私は芥川龍之介程強くはなかった
夜が怖かったころから、今は怖さがなくなってきたことについて
大学生の時分、私は夜というものが怖かった。
大学二年生の頃からだったか、あの時の私は「形のない不安」というものに毎日襲われていた。
これといって特定の物事というわけでもないのに、私は常に恐怖していた。
敢えてその不安に形を与えるなら、死への恐怖という言葉になるだろう。どうしてそんなに?と思うことだろう。それは、今になっても分からないのだ。分かっている事は、あの時私の足元は短い生の中で最も揺らいでいたという事だけである。
あの時、日常の隅々まで私は死への恐怖で怯えていた。
そして夜の闇は、まさに死の象徴のように感じていたのである。
夜が来る前に、家の中に入りたかった。闇を恐れていた。ダークネスフォビアとでも言うのだろうか。これはまさに「病み」なのかもしれないが、考える余裕はなく兎に角この不安から逃れようとした。
敢えて夜の街に出て無理矢理にでも慣れようと試みたこともある。しかし、夜の恐怖は私を逃がしてはくれなかった。
夜でも明るい渋谷の街や池袋の街に身を曝して、雑踏の中を兎に角歩いた。
目的地なんて、まるで分からないままに。
家では酒を飲んだ。悪いことに、私は酒に強いらしく中途半端に飲んでも酔わないし、恐怖はさらに加速してしまう。だから強いウィスキーをストレートやらロックやらで飲んで、酩酊に逃げた。
したたかに酔うと、恐怖が薄れていった。
あの時が、最も壊れていた時期だろう。
しかし、医者には罹らなかった。
いつの日にか、気付いたからだ。
死は、人生に寄り添う友だということに。
最期に傍にいるのは、孤独な死という友なのだ。
時に手を伸ばしてしまう程美しくて、心奪われる笑みを浮かべる友人だということに気付けば、夜ほど愛おしいものはない。
何処までも広がる、静寂で冷たい夜に沈んでいきたい欲に駆られてしまう程に。
今では、あの不安は感じていない。
それがまるで幸せに変わったかのように、毎日が幸せだ。
ありがとう
誰よりも寄り添ってくれる、最愛の友へ