Garden of Lapis Lazuli

刹那的生命の備忘録

りそうのろうご

今週のお題「理想の老後」

正直に言って、老後という概念は必要ないと考えているから老後について考えたことなど殆んど無かった.

リタイアした後に働かない状態の老人、隠居している老人についての生活を老後というのなら、私は老後を過ごすことはないと思う.
死ぬまで、研究の世界に身を置きたいと考えているし、仮に公的研究機関ではリタイアしても違う形態をとりながらでも研究したい.

研究自体に終わりが訪れるのは、自身が死んだ時だ.
それ以降は死者にプラスもマイナスもない.前々から書いているように、死んだことがないから死後の世界は分からないし、此の世になんら影響を及ぼさない時点で少なくとも此の世界では0である.

それなら此の命尽きるまで、好きな事を考えて、思考して生きていきたい.
(真に理解できるのは己の内部だが、その内部を外側から観測している時点で外部でしか観測できないのかもしれない.これは本筋ではないが、思考の内部と外部は意識していおいた方が研究する人間としては良いかもしれない.)

歳を重ねればその分身体機能は低下していく.ある程度向上するが、デスクワークやラボワークが多い人間は自然と体を動かす機会を失ってしまう為、身体機能、体力の低下は著しい可能性がある(研究者は対象以外にも自身の健康も重要なテーマになってくるらしい(博士後期課程先人の言葉)).
そうすると、研究をしていく中でいつか自分の手、ハンドリングする際の繊細な感覚が損なわれてしまう自体からは逃れられない.特に実験屋はその減少に絶望する.
思考はシャープでもライブ感のある実験が出来ないのは非常にクリティカルな問題になる.それこそ思考にダイレクトにきいてくる質的情報が入力されないのだから.

そういった意味では、兎に角繊細なハンドリング、身体機能維持を為すために動的な筋トレなどは欠かせないだろう.